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2006年5月26日 (金)

自由民主党立党50年

昭和30年、私は福岡県立修猷館高等学校の生徒だった。その年の5月母校の創立80周年記念式典が行われたが、その式典に先輩である緒方竹虎が来校し、我々後輩に訓辞を述べた。話の内容は覚えていないが、その悠揚迫らぬ東洋的大人の風格に接し、仰ぎ見るが如き感銘を受けたのが思い出せれる。その時の感激が後に私を政治の世界に導いたのかもしれない。

その時、緒方竹虎は自由党総裁であった。そして政界は保守陣営も自由党と民主党が併存する状況にあった。その前年、昭和29年11月、5次7年余に及び多くの足跡を残した吉田内閣も本人のワンマン的性格が飽みが生じさせたのか党の内外で急速に求心力を失い総裁の座を緒方に譲り直後に内閣総辞職に追い込まれ政権は憲政の常道にのっとり、第2党の鳩山一郎へと移譲されていた(第1次鳩山内閣)。そして明けた昭和30年2月、鳩山総理は衆議院の解散、総選挙を断行したのである。結果は民主党が第1党に躍進、第2次鳩山内閣がスタートしたのであった。

一方、革新側は社会党も左派・右派に分かれていたが、時代的背景もあり加速度的に力を貯えつゝあり、更に左右社会党統一の気運が高まって来ていた。

危機感を持った緒方は、いたずらに保守が分裂したまゝで足の引っ張り合いをしている時ではない「保守合同は爛頭の急務である」と、保守合同を呼びかけ精力的に活動を開始したのであった。

そして、同年11月、自由党と民主党の保守合同が達成され自由民主党が誕生したのであった。その直前左右社会党も統一され日本社会党が結成されていた。

自由民主党は初代総裁に鳩山一郎を選出し、鳩山を首班とする自由民主党内閣をスタートさせたのであった。時に、昭和30年即ち1955年であり、ここにいわゆる55年体制が始まったのである。以降、自由民主党最後の単独内閣ある宮澤内閣までの40年間、日本の政治は自由主義を標榜する与党自由民主党と社会主義社会の実現を目指す日本社会党の2大与野党が相対峠しながら、又、時には話し合い乍ら運営されたのである。

保守合同の偉業を成し遂げた緒方は、その翌年(昭和31年)1月急逝した。鳩山の後を緒方政権必至とみられていただけに郷土福岡の者にとっては残念至極であった。

振り返ってみると緒方が来校したその時期は、保守合同の直前で最も忙しい時期であったはずであるが、忙中に母校を訪れ後輩に接し、束の間の青春を楽しんだと思う。

この間の保守合同へ向けての党史をひもとくとドラマティックで興味深い。吉田茂の強烈な個性、鳩山一郎の執念、緒方と共に動いた自由党幹事長の大野半睦の腹芸、民主党総務会長の三木武吉の機略等と、戦後復興の為の政治の安定を求めた政治家の群像が躍動感をもって伝わって来る。

奇しくもと言おうか、当然と言うか、彼等は夫々が戦前の東條英機の覇道的翼賛政治体制を批判し立ち向かった面々である。

自由主義者として東條に忌避された吉田茂、中野正剛と共に反抗した鳩山、三木、中野との盟友関係を隠さず睨まれた緒方等である。

支那事変、泥沼の日中戦争、三国同盟、満州国建設、国連脱退、そして太平洋戦争突入と歴史は流れ、最終的には300万同胞の命が失われ悲惨な敗戦と連なった。彼等とてその渦中に在って、その流れに竿差し、せき止める事が出来なかった。それに対する悔恨の情と自戒の念は大きかったと思う。それ丈に立党に当たり期する処は大であったと思われる。

小異を捨てゝ大同につく、緒方が述べた如く、保守合同は爛頭のまさに急務であった。

その大義は我が国の復興と真の民主政治の確立であった。

立党時の宣言を読み返してみても内外の不安定な情勢を背景に祖国再建の大業に邁進せんとする。みずみずしい感覚と気迫が伝わって来る。

以来今日迄、我が党は常に政権の中枢にあって我が国政治を担当させて頂いている。勿論その間多くの過誤があった事は否定しない。しかし、その都度、先達は自由闊達に議論を交わし総意で難局を乗り越えて来た。また、野党やマスコミの厳しい批判の目を厭わぬ度量と礼を失わなかった。それが政党として国民の信頼を得る事が出来たものと思う。

そして立党50年、平成18年1月18日の恒例の年次大会、フィナーレは出席者全員が蛍光ペンを振りかざし、司会者の音頭で小泉総理に向けて“小泉!!”、“小泉!!”と叫ぶ演出であぅた。中央には大満悦の小泉総理の姿があぅた。多くの党員が酔った如くであった。いや忘我の境であった。しかし何かしら戦慄を覚えたのは私一人ではなかったのでないか。

あのナチス・ドイツの時代、洗脳された国民が独特の片手をあげる敬礼と共に「ハイル・ヒトラー」と夢中で叫び続けたあの姿と重なって仕方がなかった。――― 後に悲惨な運命が待っているとも知らずに ―――。

内外ともに課題はなお山積みしている。この時代、我が自由民主党は変革に柔軟に即応し素晴らしい歴史と伝統を守り、真の保守政党として健全な民主政治の確立の為その役割を果たさねばならない

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