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2006年5月26日 (金)

憲法

昭和22年5月3日、日本国憲法が公布された。ちなみに、その丁度1年前のこの日に極東国際軍事裁判所が開廷されている。終戦直後のこの時期の激動の様を物語っている。

以来60年、一言半句の改正をも見る事なく生きて来たこの憲法も時代の推移のなかで、その存在が大きく変わろうとしている。国民大方の意志は新たな憲法の制定へ一歩踏み出したと言える。衆参両院に調査会が設置されたのも、その表れである。

憲法とは何か、この根本的な問いをめぐり、政界をはじめ各界で何度も議論されてきた。

言うまでもないが、憲法は「国の姿を表わし、国の基本をなすものである。同時に公権力の行使者の言動に制限をかけるもの(樋口陽一教授)」だ。即ち、権力を持たない個人の領域に、公権力が安易に手を突っ込んではならないという事だ。一方、国防とか環境を考える時、国民が多少の自己抑制のもとに、何を成すべきかを公権力が国民に求めるルールを定める側面を持つものでもあろう。

今後、国民が英知を絞り、総意を以て、自らの手で新しい憲法を創り出さねばならない。

しかし、多様な価値観が共存する現代社会である。要は、公権力の行使者も、国民も共に良識をもって、手作りした憲法を常に謙虚な気持ちで尊重する精神を持たねば意味がない。

昨年の第163回通常国会に於ける郵政民営化法案については、衆議院で5票差という僅差であったが可決され、参議院に送付された。参議院では15票差で否決された次第である。

現在、新たな憲法制定の論議のなかで効率性の観点から一院制論もある。しかし、現憲法に於いては厳然と2院制を規定している。それは衆・参二院制の下、予算、首班指名、条約については衆議院優位を認めるものの、多様性のなかで政策を絞り込む過程に於ける慎重性と、参議院に対し衆議院の行き過ぎを抑制し、足らざるを補う。即ち、抑制・補完の役割を良識の府として期待している処にある。従って、参議院が時には衆議院と異なる意志が示されたとしても何ら憲法とその精神に抵触するものではない。

勿論、院を構成する各政党がその政党の論理に基づいて所属する議員の行動に枠をはめる事は一向に構わない。

ただ、先の通常国会で前代未聞なのは小泉総理は否決した参議院でなく、可決した衆議院を解散し総選挙に打って出た事である。即ち、総理の大権である国会(衆議院)の解散権をここで行使した事である。僅差とは言え、衆議院は法案を可決した。これは内閣信任を意味する。しかし、参議院の否決を内閣不信任であるとの解釈で、信任した衆議院を解散したのである。これはあまりにも一方的で論理的に飛躍しすぎて私には違和感を禁じ得ない。

言うまでもなく現憲法下に於いて、参議院には解散はない。いかに総理と言えども参議院に対し、解散権を行使する事は出来ない。一方、参議院は内閣に対し不信任を突きつける事は出来ない事となっている。

国会の解散については憲法に次の如く規定されている。

第7条(天皇の国事行為)

 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、下の国事にかんする行為を行ふ。

1,        憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

2,        国会を召集すること。

3,        衆議院を解散すること。

4,        国会議員の総選挙の施行公示すること。

5,        国務大臣及び法律の定めるその他の官史の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

6,        大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

7,        栄典を授与すること。

8,        批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

9,        外国の大使及び公使を接受すること。

10,  儀式を行ふこと。

第69条(衆議院の内閣不信任)

 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

現憲法制定以来19回の衆議院解散がなされているが、そのうち15回が7条解散、即ち、内閣の助言と承認に基づく天皇の国事行為に依る解散であり、他は全て69条解散である。

従って、今回の解散も7条による解散であり、何ら憲法上問題はない。

しかし、先述した如く憲法は公権力の行使者の言動に制限をかけるものである。その行使には慎重の上にも慎重であるべきである。

今回の郵政民営化法案の参議院否決に於いても

    両院協議会を設ける。

    衆議院に法案を戻し再審議し、3分の2以上で可決する。

    一時廃案にして修正し、次期通常国会か臨時国会を開催するなどして、新たに審議をするなど、手順が解散の大権を行使する前に当然考えられたはずである。

    ②はあの時点では現実的でなかったが③は充分選択肢のひとつであった。ましてや憲法の条文に照らして決して、違憲ではないにしろ、その精神に鑑みると如何なものかと思われる状態下では尚一層、解散権の行使には慎重であるべきではなかったか。

過去19回の7条解散も夫々に理由がある。また、それについて意見もある。しかし、憲法が厳然と規定している二院制のもと、参議院に於いて示された意志が気の食わないといった理由で解散に持ち込んだ例を私は知らない。

立憲主義国家日本の基本法である“憲法”の精神に鑑みて、いさゝかなりとも“如何なものか”と思われる助言と承認をもって天皇に国事行為をお執り頂く事はまさに“如何なものか”と思われる。

我が国は国民の総意に基づく天皇を象徴として戴いている。皇室に対する尊崇と敬愛が多様な価値観を超越して国家の結束を形成しているが、あくまで象徴があることは言をまたない。

当然、天皇は現実政治に対し影響を及ぼしたり、意見を言われる事はない。

それであるからこそ、権力を預かり行使する者は常に謙虚にしてそれを越える事がない様、努めるべきである。特に国事行為をお執り戴くに際し、助言と承認をなす内閣は違憲でなければ如何なる助言でも構わぬといった不尊な心があってはならない。そうでなければ、その長はまさに恐れを知らぬ「天下人」という事になってしまう。

今日、ホリエモンのケースをみるまでもなく違法でなければ何をしても良い、むしろ法の隙間やギリギリのところを上手に泳ぐ者が評価される傾向が見受けられる。しかし、それが良いのであろうか。就中、権力を行使する立場の者が法律の限度一杯に権力を行使するのではなく、謙虚に礼節をもって法の枠内で、むしろ抑制的に権力を行使する事が望まれる。

国民は権力に対し敏感である。時には我尽にもまた卑屈をも装う事がある。それ故に、今日圧倒的多数で公権力を行使する立場に在る我々自由民主党は一層の自覚と謙虚さを矜持すべきであろう。さもなくば、いずれ手痛いシッペ返しを受ける事にもなるであろう。

以上、私見を述べたが、国政上の重要な問題である憲法上の総理の解散権に係わる問題である。大いに議論されてしかる可と思う。しかし、不思議な事に、その当時マスコミも殆ど関心を示さなかった。

私自身もマスコミのインタビューに対し何度か私見を述べたが、全く関心を示さなかった。不思議である。

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